稲葉 正一
Ambient Temperature Slide (ATS)法は、これまで容器詰食品のために100年間世界で使われ続けてきたBallの数式法を凌駕する、簡便、高精度な熱解析手法です。Ballの数式法の様に数学の知識を必要とせず、Microsoft Excel®の所定の領域にデータを入力すれば、クリックするだけで、対象の容器詰食品の加熱特性が数値化され、中心部温度の予測が可能になります。
[ATS法に取り組んだ背景]
最も広く知れ渡っているレトルトに関する計算法はBallの数式法 (Ball Formula Method)1)です。Ballの数式法は、100年前の発明当時より、温度測定装置の絶対数が足りない中、雰囲気温度から殺菌値を推測する方法として、食品分野にとどまらず幅広い生産の分野で使われ続けました。主な対象であった缶詰殺菌分野における安全確保に大変実績のある方法と認識していますし、同時にBall氏の偉大な業績に敬意を払っています。
ただ私は100年前の方法が現在も使われ続けていることに違和感を持っており、当時は気にならなかった精度や手法もPCやプログラミングが高度になった現代ではそろそろ代わりの方法が登場してもいいと思います。
そしてそのBallの数式法を上回る方法が向井氏の発明したATS法2)3)4)だと思っています。それが開発者でもない私がATS法の使い勝手の良さや予測精度の確認を行っている理由です。つまりATS法はレトルト技術者であれば知っておいて損はないツールなのです。しかも使いこなすだけであれば、多くの勉強をする必要はありません。ただ何ができるものかを知って、Excelにデータを入れてボタンをクリックすればいいのです。
ATS法がBallの数式法と全く別ものかというと、それも違うという見解を個人的には持っています。田辺はパラメータの互換性を主張し5)、私もその検証に手ごたえを感じているところです。
[ATS法の導出と計算方法]
一定温度の水槽に入れた容器詰食品の中心部温度を経時的に測定するという有名な実験の様子を示します。
図1. 容器詰食品を一定温度の熱水に浸漬する実験
その時の中心部温度の経時変化の様子を示します (クリックで拡大します)。
Ball法では雰囲気温度が室温から急に殺菌温度に変化し、一定の殺菌温度を一定時間保持した後に急に冷却温度まで変化するステップ状の温度変化を想定しており、雰囲気温度が徐々に変化する場合には、計算結果を補正することになります。ステップ状の雰囲気温度変化の場合には、中心部温度の経時変化を片対数グラフ上にプロットすると、プロットには直線の部分が現れ、その直線の傾きであるf値と、切片であるj値が求められます。
一方、ATS法には前提条件が4つあります。
- 容器詰食品には中心部と呼ばれるほぼ温度が一定の領域がある。
- 温度や計算は一定時間ごとに測定及び計算される。
- 雰囲気温度の変化が中心部温度変化に反映されるまでにある一定時間かかる。その時間を「遅れ時間」と呼ぶ。
- ある時間の中心部温度は、「遅れ時間」だけ前の雰囲気温度とある時間の中心部温度の温度差によって決まる。前記温度差が中心温度変化に反映される係数を「伝熱係数」と呼ぶ。
Ballの数式法のプロットから得られる切片= j値も、遅れに関する因子です。
実際の計算は表計算ソフト(Excel)上で行います。その際に雰囲気温度を遅れ時間だけ移動させて計算するので、その操作をスライドと呼びます。測定時間間隔の倍数で移動させることになりますが、その数をスライド数と呼びます。 このように雰囲気温度をスライドさせることが、ATSという名称の由来です。
ATS法の計算法
ATS法の計算方法を以下の図で説明します。
ATS法の機能
ATS法では、得られる対象の容器詰食品特有の熱特性を加熱殺菌中に経時的に測定した雰囲気温度と中心部温度から熱特性を独自の4つのパラメータで表します。そして、そのパラメータを利用すれば測定時と雰囲気温度パターンが異なっても中心部温度の経時変化を高い精度で予測することが可能になります。
4つのパラメータは以下です。
加熱期遅れ時間:δh、冷却期遅れ時間:δc
加熱期伝熱係数:τh、冷却期伝熱係数:τc
4つのパラメータを使って中心部温度の経時変化を出せば、殺菌値や全工程時間等も求められますので、中心部温度を実測したときと同等の情報が得られます。
Ballの数式法とATS法の比較
以下にBallの数式法とATS法を比較してみました。
プログラムの画面表示
以上ご紹介してきたATS法を、だれでも簡単に使いこなせるExcelベースのアプリケーションが"ATS-TiFT"です。その実際の画面を示します (クリックで拡大します)。
"ATS-TiFT"をご希望の方は、ATS法プログラム申し込みフォームよりお申し込みください。
参考文献
- 公益社団法人日本缶詰協会, 「容器詰食品の加熱殺菌(理論および応用)」, 第3版, p.54-103, May. 2013
- 向井 勇, 「レトルト殺菌における食品温度履歴の簡便な推定法」, 日本食品工学会誌, vol.7, No.3, p.197-205, Sep. 2006
- 向井 勇, 酒井 昇, 「レトルト殺菌におけるATS法(雰囲気温度スライド法)の検証」, 日本食品工学会誌, Vol.9, No.3, p.167-179, Sep. 2008
- 向井 勇, 朱 政治, 「温度履歴曲線の相似関係によるATS法の理論的課題の解明」, 日本食品工学会誌, Vol.16, No.3, p.209-207, Sep. 2015
- 田辺 利裕, 「向井のATS法とBallの数式法におけるパラメータの関係」, 缶詰時報, Vol.89, No.6, p.551-557, Apr. 2010
↑